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またまた巡ってきました、クリスマスが! そしてイブの夜が! さぁ、今宵はわがツギハギだらけのオンボロ靴下に、サンタさんは一体どんなプレゼントを入れてくれるのだろうか! できれば現ナマを…ってゆ〜か、自他共に認める爺やなら、アンタが誰かにプレゼントしなくては、とな? マァマァ、そこを何とか…ならないの? ケッ! で、結局、イブの夜は例年どおり、繁華街のイルミネーションをくぐり抜けてたどりついたのは、この1年末席を汚してきた教会。ま、おかげで信仰の方は、ますます怪しさに磨きがかかってきたけど…何でやねん! とまれ、しょせん宗教なんて、どこか怪しいところがいっぱいあるもんね〜。とりわけキリスト教なんて、ナニナニ、イエス・キリストは処女マリアから生まれたとな? で、最後は十字架にかけられ処刑されたのに、3日目によみがえって天にのぼったとな? そして、そのイエス・キリストを信じると、我々人間どもは救われて永遠の命が与えられるとな? ハァ? …って首を傾げ続けてウン十年。ま、何でも「慣れたもの」は心が落ち着くもんで。例えば、このキャンドルの灯なんか…ハイ。 教会でのイブといえば、これも例年のごとく、会堂周辺をこっそりパチリパチリ。…と、改めて気づいたのが、わが教会ではイルミネーションがまったく輝いておりゃせんか。クリスマスらしい雰囲気といえば、玄関扉に掲げられたクリスマスリースぐらいなもので、「何でだろ〜」。と、気づいたのが、最近の「クリスマスといえばイルミネーション」って風潮。今年は歴史的な不況というのに、昨年よりむしろ豪華…とはニュースで。言わずもがな「キリストの誕生を祝う」ってな本来の目的とはまったく関係なく、だけど。 ゆえに、教会がイルミネーションで飾り立てると、「ほう、教会でもイルミネーションをねぇ」って、マスコミが大騒ぎ…するか! 実は日本の教会、とりわけプロテスタントの教会は貧乏なので、わが教会もご多分にもれず電球を買うカネが…コラッ、牧師に聞こえるぞ! おっと、「外に怪しいヤツが!」…と聞こえたような声とともに、玄関から人々がコンボウ…ではなく讃美歌を手にゾロゾロと。と、お〜っ、始まったのは美しき合唱…。ま、いわゆるキャロリングの一種ですな。これはチャンスと、お咎め覚悟でパチリパチリ。もっとも、あとで画像をよく見ると、ほとんどがブレブレのピンボケ。夜景ってヤツはホンにムズカシイのう。で、歌っていた曲は、え〜っと…何や聞いてなかったんかいな。 讃美歌の歌声は、もちろん、イブ礼拝の中でも聖歌隊が。と、こちらのパチリも、ブレブレのピンボケ…。で、歌っていた曲は…スンマセン。 ところで、教会のクリスマスといえば、定番は子どもたちのキリスト生誕劇だが、今年は、12月21日・日曜日のクリスマス礼拝での人形劇。あらすじは、イエスが馬小屋の飼葉桶の中で生まれ、博士たちが祝福に訪れる…という、まさに耳タコのハナシだが、つい目を奪われたのは、人形たちの姿。そのマンガチックな容姿と「神聖なるハナシ」とのコラボレーションに、なぜかオツムがポッポッポ。好きだねぇ、こういうオトボケは。って、人形劇をバカにしてんの? イエイエ、そんな畏れ多いことは…。 ちなみに、同じ人形でも、玄関に飾られていた馬小屋での祝福風景はこんな感じ。マリアはどこまでも清楚で、博士たちはどこまでも威厳があり…。が、平凡ですな…って、「言うよね〜」アンタは。 再びイブの夜に戻り…礼拝も終わって誰もいなくなった会堂。静かだねぇ。プロテスタントの教会にあっては、正面に飾られている十字架は「あくまでも象徴」であって、実体は単なるモノにすぎないが、じっとひとり眺めていると、なぜか荘厳な気持が…。ナニ、それだけアンタは罪深いとな? クシュン。ま、「ワテが一番」なんて思ってたら、教会なんぞに足を踏み入れないもんね〜。ナニ、一番ではなく二、三番ぐらは…コリャ〜! ところで、クリスマスといえばもちろんイエス・キリストの誕生を祝う、いわばお祭り日(誕生日ではない)。だが、イエスの生涯・教えが記されている聖書─新約聖書の「マタイ」「マルコ」「ルカ」「ヨハネ」の四福音書の中で、実はイエスの誕生の状況が記述されているのは「マタイ」と「ルカ」のみ。つまり、最初に書かれたといわれる「マルコ」では、一切触れられていない! は、ま、クリスチャンなら常識だけど、なら、ナ〜ゼだ! モノの本によれば、まず「マルコ」が。のちに、これを下敷きに「マタイ」が、そして「ルカ」が、最後に「ヨハネ」が書かれたそうな。…で、大事なのは、キリスト教徒ならずとも知っている処女降誕説。これが、なぜ原本である「マルコ」で言及されていないのか! かつ、イエス誕生の状況が、「マタイ」そして「ルカ」と新しく記述されるほど、詳しくなってくるとは! まさに「何でやねん!」じゃな。 …ということは、「マタイ」や「ルカ」の生誕記述は、恐れながら「後世の創作」? つまり、全国の教会で子どもたちが毎年演じてきたキリスト生誕劇は…オ〜・マイ・ゴッド〜。 だから…。そう、「何でやねん!」というなら、「だから、何でやねん!」じゃな。ここで間違えてはいけないのは、四福音書は「歴史書」ではなく「福音書」であること。本当に大事なのは、福音を自らの在り方・生き方とどう関わりをもたせるか、ということでは。ふ〜っ。で、わが身を振り返ると…ま、年金生活者らしく「それなりに」「適宜に」。は〜っ。そんなに肩肘張って生きていけないもんね〜。 |
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